2016 01 17

阪神淡路の震災を、

ぼくは大阪府南部にあった生家で経験しました。

あれから今日で21年が経つんですね。

はげしい揺れの後、本棚が倒れてきて、

眠っていた枕のすぐ隣に落ちてきました。

のんきなぼくは夢うつつのまま、

何が起きたのか理解できずに

しばらく布団の中にこもっていたような覚えがあります。

 

大阪府の南部では大きく報道されるほどの

被害があったわけではないと思いますが、

その後神戸に住んでいた友人から聞いた話は、

じぶんが想像していた以上にたいへんなものでした。

 

今では追悼行事やそこに参加される方も少なくなっているそうですが、

震災から20年以上も経っているのですから、

それは自然なことなのかもしれないと個人的には思います。

 

「ひと世代」と言えそうな時間が経過して、

当時生まれた人だって成人しているし、

現役バリバリだった人にもお孫さんができているかもしれません。

ですが震災という経験は確かにぼくたちの記憶に残っていますし、

街づくりのあり方や個人個人の価値観に

少なからず影響していると思います。

 

地震だけでなく、洪水や土砂災害、

あるいは火災といったものは、

いつ、誰に降りかかるかわかりません。

ぼくは地域の消防団に参加していて、

火災の時には消化活動にあたることがありますが、

ごく短い時間で家屋が全焼してしまうこともあります。

 

石鎚神宮も客殿の火災を経験しました。

それは突然の出来事で、

ほんの数時間の間にその場の風景が

一変してしまったことを覚えています。

 

災害を完全に防ぐ、

間違いなく避ける、

ということはできないかもしれませんが、

日ごろからの意識の持ちようで被害を軽減できる可能性は

大いにあるでしょう。

大震災が起きた今日という日に、

今いちど身の回りの防災を考えてみてはいかがでしょうか。

 

みなさんの今日が平穏無事でありますように。

 

石鎚神宮社務所より